私が受験した当時、京都や愛知の美大や私立芸大の中には、推薦試験のある大学もありましたが、東京の美大藝大の日本画専攻には推薦枠はありませんでした。(女子美術大学にはあったかもしれません)
現在は推薦やAO入試を取り入れている大学や専攻はあるようですが、少人数のようです。
私は現役(高3)一浪ともに東京の美大藝大は2校(ムサビと藝大)受験をしました。
そして京都を2校、愛知を1校、推薦試験で受験をしました。
推薦試験と言っても、学科試験がなくて実技試験のみとか、実技試験と面接のみという形でした。
私が受験した当時、東京の美大のデザイン科などは志望者が多かったことから、学科試験で合格しないと実技試験が受けられないと言われていました。
この記事では、私が日本画専攻を受験した当時の入試のエピソードや、美術予備校で経験したことをご紹介します。
東京藝大の日本画の試験
東京藝大は、国立大学なので大学入学共通テストを受ける必要があります。
私の時代は、センター試験と呼ばれていた試験を受けましたが「3割取れてればいい、勝負は実技だから」と言われていました。
実際はどうなのでしょう?
流石にたった3割取れていればなんてことはないだろうと思いながらちゃんと受けました。
学科も大事です。
大学に入ってから奨学金を受けるのに高校時代の評定平均値がネックになったこともあったので、勉強をしておくにこしたことはありません。
建築科は数学必須なので、特に建築科に関しては学科も重視されるのだと思います。
私も浪人時代に美術予備校で実技を受けた後、夜からの学科(国語と英語)の授業を受けた時期もありました。
あまり日本画専攻では学科は気にしなくても……と思われるかもしれませんが、学科もできたらできたで後々役に立つことが必ずあると思います。
東京藝大の一次試験はデッサン、二次試験は着彩画
上野駅から藝大へ向かう途中、上野公園の中を歩いて行ったのですが、同じ美術予備校のデザイン科の男の子の友達がカラスに頭を蹴られて「痛い!!」と言っていたのが印象的でした。本当に痛そうでした。
上野公園なんて鳩だらけなのに、なぜよりによってカラス?と思いました。
なんだかもう遥か昔の記憶で、何階の教室で一次試験のモチーフの石膏像が何だったかも忘れてしまいました。
願書を出した順で1階の教室から試験会場が分かれると聞いていたので、記念受験の方で願書を出すのが遅かった人ほど上の階になると言われていました。
お昼ご飯もどこで何を食べたのか…多分同じ予備校の仲間と食べたのだとは思うのですが、緊張しすぎてたので記憶は彼方へ。
日本画は、一次試験がデッサン、二次試験が水彩での着彩画です。
一次試験のモチーフはほぼ毎年石膏像のデッサンなのですが、例外のモチーフだった年もあったと聞いています。
私が受験した時代の、東京藝大の日本画の現役女子の倍率は100倍だと言われていました。
高校も1クラス50名が10クラスあった時代なので(1学年下は12クラス)この頃の受験人口も今とは比べ物にならないくらい高かったのだと思います。
6浪した先生が一次試験に合格した時のモチーフ
私が通っていた美術予備校の講師の先生で、当時藝大生だった方がいらしたんですが、その先生は6浪して藝大に入学できたそうです。
先生は、完全なる6浪というわけではなく、途中就職したりということもあったそうなので、正確には6浪ではないのでしょうが、周りの人からは「6浪だった」と聞きました。
日本画の一次試験のデッサンは大体、石膏像のデッサンが出題されます。
その先生が合格した年は、自分の手をモチーフにして描くデッサンだったそうで。
先生の手、めちゃめちゃ美しかったのでよく覚えています。
爪の形とか指の長さとか、すごく綺麗だなぁといつも思っていました。(手フェチです)
「その手がモチーフだったんなら、最強だな」
と納得でした。
先生、現在は某美術大学の日本画で教授をされていらっしゃるようです。
受験も運に左右されますね。
得意なモチーフだったり、モチーフからの位置や場所だったり。
あとは緊張せずにいつもの力、いつも以上の力を出せると良いのですが。
集中できるかどうかも関係してきます。
私は緊張しすぎた時と、集中できなかった時とありました。
美術予備校の個性的な講師の先生たち
日本画の講師の先生の中には
「形が見えてねぇんだよ!ちゃんと見ろよ!」
という言い方をする先生が一人だけいらっしゃいました。
大人になってから思うのは、その先生は「物凄いツンデレだったんだな」という事でした。
当時17歳の私には「そんなこと言ったって、わからないもんはわからないんだよー!」と思いながら悩んで悩んで胃が痛くなるほど悩んでいました。
その先生のことが本当に苦手で、先生が来る日は本当に憂鬱で顔も見たくないし一緒の空気を吸うことも嫌だと思うくらいに苦手でした。
今思うと本当に失礼な話ですが、女子高に行っていたこともあり、やたら男くささを前面に押し出してくるタイプの人が苦手だったというのもあるのですが、言うこともデリカシーがなく下ネタに近い部分もあって、ものすごく毛嫌いしていました。
でも実はその先生すごく繊細で、イキったことを言っているけど実は女子生徒たちの言動をすごく気にしてたように思います。
後からフォローの言葉を言ってみたり、そのフォローがフォローになっていなかったり。
その先生の指導が嫌だったばっかりに、その先生の在学していた美大だけは受験しなかったので、勿体ないことをしたなと後悔しています。
未だに「永遠の憧れの君」である講師の先生
現役(高3)時代、基礎デッサンクラスにすごく素敵な先生がいました。
当時ムサビの学生だった講師の先生です。
教え方がとてもわかりやすくて上手だったんでしょうね。
その先生の言葉がすんなり心に入ってきて、モチーフの見方が180度変わったような出来事がありました。
夏季講習の時に日本画コースの実技の後に、基礎デッサンコースの実技も受けていたので、その先生の指導を受ける機会があったのです。
その先生は
「形があるんだから、ちゃんと見てあげないとな」
っていう言い方をしてくれたんです。
同じ事を言ってるのに、全然違う!!!
そう思いました。
見た目のカッコよさとか(も、多少あるかもしれないけど)そういうのとは別で、言い方次第で相手にわかるように伝わる事ってあるんだな、と実感したのでした。
先生は私をその場に立たせて席を変わり、私のデッサンを少し手直ししてくれました。
この先生は考え方とか器の大きさもすごく大きい人なんだろうなと感じました。
それ以来、尊敬と敬愛と恋心です。笑
実技に集中できなかったことで失敗
日本画で仲の良かった友達と、京都の美大の推薦試験を一緒に受けに行きました。
二泊三日だったと思いますが、東京から新幹線で京都まで……一緒に行動しホテルも同じ部屋に寝泊りしました。
その時に彼女との会話の中で、彼女もそのムサビ生の講師の先生のことが好きらしいという事を知って、動揺してしまったのです。
確かに、あれだけ素敵な人だからモテるのだろうなと思っていましたし、他にもその先生のことが好きだと思っている人が、周りにわんさかいたのもわかっていました。
それでも、自分もその先生のことが好きだという事を友達に知られてしまうのも嫌だったという気持ちもあって、何故か動揺してしまって、実技試験に集中できなかったのです。
仲の良い友達だったから一緒に憧れの先生に対して、キャーキャー言いながら騒げば良かったんじゃないかな?って今は思います。
片想いだったからかもしれませんがものすごく動揺してしまって、実技試験に集中できませんでした。
メンタル面の強化が大事
それまで頑張ってきた分を、普段以上の実技の実力を発揮できるようにメンタル面の強化はとても大事です!
予備校ではメンタル部分に関してのケアみたいなものは、特に面談でも言われた記憶がありませんでした。(忘れている???)
私自身、モチーフの形が形として見えてくるまでもとても時間がかかってしまって、それまで陰影でみているようなところがありました。
それがある日突然理解できて、形として見えるようになる日がやって来たのです。
本当に突然わかるようになったので、自分でも驚いたのを覚えています。
描ける時と描けない時の差が物凄くあって、私は美術予備校の講評があった課題の時に、デッサンはビリに近かったのに着彩は上位だったりと、同じ時期に描いたものでも物凄く描けたときと描けない時の差があり、悩みました。
何をしても描けない時期もあり、いわゆるスランプ時期ということもありました。
メンタル面の影響は大きかったように思います。
私の場合は友達関係に左右されてしまったり、片想いが絡んできてしまったり、一人で遠方に受験しに行くという緊張だったり、色々なことに気持ちが左右されていました。
受験シーズンが始まったらとにかく集中することが大事なのですが、それができたら悩まないよなあって思いますよね。
一生に一度の本気を出す時は、きっと今です!
(随時、記事の内容はリライトしていきます)